池袋暴走事故から半年 遺族の思い

東京・池袋で高齢者が運転する車が暴走し、親子2人が死亡した事故から半年がたちました。妻と娘を亡くした男性が取材に応じ、「2人の命を無駄にしないよう活動を続ける」と、今の心境を語りました。

 松永さんは池袋で起きた事故で、妻の真菜さん(31)と、娘の莉子ちゃん(3)を亡くしました。妻と一緒に娘の成長を見ることはもうできません。事故から半年が過ぎ、現場に当時の面影はほとんど残っていません。それでも、松永さんにはあの日の記憶が鮮明に残っています。

 今年4月、豊島区東池袋で、暴走した車が通行人らを次々とはねました。車を運転していたのは旧通産省・工業技術院の飯塚幸三元院長(88=当時87)です。警視庁は、加齢による衰えや病気の有無も調べ、運転操作への影響について詰めの捜査を進めています。

 松永さんは事故現場で「莉子は車が向かってきて怖かった、痛かっただろう。真菜もはね飛ばされている間、無念だっただろう」「真菜は速度制限標識の辺りまで50メートル弱、信号機の高さまではね飛ばされた。莉子は真菜のそばを離れない『お母さんっ子』だったのに、最後の最後で離れ離れになってしまった」と語りました。

 松永さんにとって事故当日は、幸せな人生を一瞬にして壊され、一生癒えない傷を負った日となりました。「病院に向かう間は人生で一番つらい時間だった。まさかそんなわけないと願った」と当時を振り返りました。

 当時3人で住んでいた部屋は、時が止まっているかのようです。カレンダーは事故が起きた4月のままで、莉子ちゃんの2歳の誕生日にプレゼントした小さなキッチンのままごとセットも部屋に置かれていました。松永さんは「(莉子ちゃんは)毎日ここで料理や洗い物のまねをして、テーブルを出して『お父さん、どうぞ食べて』と作ってくれた」と語ってくれました。

 普段、目の前に広がっていた大切な「当たり前の生活」はあの日、一瞬で奪われてしまいました。松永さんは「部屋を見て分かるように、莉子と真菜は確かに生きていた。その『当たり前』は今思うと当たり前ではない。僕は『当たり前』がなくなってしまった。人の『当たり前』を奪わないように、そして自分自身の『当たり前』を失わないように、この事故が安全運転を心掛ける、危険運転をしないといったことを考えるきっかけになれば」と訴えます。

 松永さんは足の具合が悪い状態で運転し事故を起こした飯塚元院長への厳罰を求め、署名活動を行ってきました。およそ40万人分の署名が集まり、東京地検に提出しています。松永さんは「2人が亡くなり、10人がけがをした大事故は裁かれるべき。2人の無念さを思えば、署名活動を含めて私にできることは後悔しないように何でもやる。それが、2人の命を無駄にしないことだと思う。(2人の命が)次につながるようにと願っている」と語りました。松永さんの願い──それは、交通事故による加害者も被害者も二度と出ない未来を目指すことです。

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